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04/13/2009

不適切発言とメディアの責任

うかつにも(?)旬の芸能ネタを取り上げたせいなのか、いつもよりアクセス数が激増している。以前、小倉智明氏の番組、「とくダネ」と相撲協会の問題を取り上げたときにニフティーに注目のブログとして取り上げられたときと似た現象で、1日のアクセス数が1000件を超える状態になっている。いつもは50件前後のアクセスなので、私にとっては驚きの事態が再び生じている。

今回のアクセス急増の原因を調べたところ、北野誠氏のラジオ番組の視聴者が運営するサイトにて、このブログが紹介されたことと、ニフティーの検索サイトで、この番組のタイトルを入れて検索すると、トップに名があがってくるためということのようである。

広く、色々な方々に私見を発信する機会が与えられたと思い、喜ぶべきだろうと思うと同時に、情報を発信するということは、(匿名)ブログであっても、ある種の責任というものが生じるのだと感じる。

そこで、再び私がこの北野誠氏の不適切発言問題において、問題視している点は何かを明確にしておこうと思う。

北野誠氏の不適切発言問題の真相はいまだにメディアからは伝えられていないようだが、従来世間で騒がれる不適切発言問題と今回の問題との大きな違いは、発言内容が何か一切わからないという点である。

例えば、歌手、倖田來未氏の羊水は腐る発言のときは、その発言内容が大々的に報じられ、どういう経緯で問題化したかもメディアはこぞって報じていた。私から見れば、必要以上に問題を煽っていたように思う。しかし、今回はそういう兆候は見られない。

もっとも、私が、「必要以上に問題を煽っていた」と判断できるのも、倖田來未氏の発言内容が何かわかったからである。発言内容がわからなければ、発言者である北野誠氏の活動に対する評価はしようがない。

事務所や本人が、何が不適切発言だったのかを説明すべきという声もあるようだが、それはあくまでファンだとか、視聴者に対する道義的な問題にすぎない。

問題なのは、朝日放送をはじめ、同氏を起用していたテレビラジオの主要メディアが、同氏の降板等の話題が出ているにもかかわらず、不適切とされる発言内容を一切報じていない点である。

私の知る限り、「特定の芸能関係者に対する中傷」とのみ一部の新聞社等のネット報道がされているのみである。通常、ここまで報道されている以上、メディア関係者は、不適切発言の内容は当然何かわかっている。中川大臣の酩酊会見のときもそうだが、酒にだらしないことは担当記者をはじめ多くのメディア関係者がわかっていたのに一切そういう報道をしてこなかった。今回の不適切発言も、メディア関係者は、その内容を知っているのに報道していないわけである。

どういう個人、社会的勢力に対する配慮があるのかわからないが、不適切発言の内容を可能な限り伝え、それが妥当な批判なのかどうか情報を国民に知らせることがそもそものメディアの役割ではないかと思うわけである。

前回の記事で指摘したように、芸能人は全くの私人である。しかし、その社会的活動によっては、公的側面があることもまた事実である。

月刊ペン事件最高裁判決によれば、私人の私生活上の行状でさえ、「そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の位置資料として、刑法230条の2第1項にいう『公共の利害に関する事実』に当たる場合がある」という。

だとすれば、芸能人として、ワイドショーなどのコメンテーターとして活動していた人物が、ラジオとはいえ、公のメディアで発したとされる不適切発言の内容は、大いに公共の利害に関する事実と言えるだろう。

であるならば、知る権利に奉仕する報道の自由を標榜する主要メディアが、下らない朝青龍のガッツポーズに時間を割いて報道したりするくせに、今回の問題の真相を明らかにしないのは、合点がいかない。

つまり、私がこの問題を取り上げることで、一番訴えたいのは、現在の主要メディアには、社会的機能を果たしていないという本質的な問題があるということだということを明確にしておきたい。

先日に引き続き紹介するが、公認会計士で、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」でミリオンセラー作家となった山田真哉先生は、昨日に引き続き別の記事で、「名誉毀損なら、裁判やBPOに訴えるべき」との記事を書いている。

これについて、私は全くその通りだと思う。

ちょっと話は大きくなるが、日本社会では、どうもうやむやにして臭いものにはふたをするという慣習が根強く横行してしまっている。訴訟社会は良くないという発言が聞かれるが、私は訴訟社会はむしろ歓迎すべきと思っている(その理由が弁護士が潤うからではないことは誤解がないように言っておく)。

山田先生も似たような御指摘をなされているが、公権力だったり、ある種の権力を有する社会的勢力が、社会的制裁として、不都合な言論を消し去ったり、その発言者を社会的抹殺するようなことが許されるのであれば、これはナチスドイツと全く同じではないだろうか。

この21世紀の民主主義が定着しつつある世の中で、この種の動きが許されていることが、何とも不気味である。「ナチスによる言論統制を同じでは?」という危機感を持つのにふさわしい事件が、今回の北野誠氏の不適切発言問題なのかもしれない。

報道によれば、中傷された個人のプライバシーに配慮というが、どういう中傷がなされたのか、個人名を明かさなくたって、可能な限りでの情報開示はできるはずであろう。まして、公共の電波において、重大な不適切発言があったのであれば、今回の事件に限ることなく、再発防止として、検討すべき事項である。

それをどういう中傷行為があったのか一切報道せずに、あたかも闇に葬り去るような動きが許されていいのか思うわけである。

今回は、発言者である北野氏が、表現の自由を主張して法廷で争うような姿勢は見せていないので、抽象的には表現の自由の問題があるが、当人が争わない以上具体的権利侵害はないので、法律上なんら主要メディアに違反があるわけではない。

しかし、「メディア関係者の皆さん、それでいいのですか?」「そういう姿勢で、職責の全うをされていますか?」と一言、言いたくなるわけである。

主要メディアは、多くのプライバシー侵害訴訟においては、プライバシーの侵害はないとか、報道の自由であるとか、表現の自由として許されるとか言いつつと争う癖に、自らに不都合な問題であれば、報道の自由という主張すらせずに、何もなかったように平然と対応しようとする。無責任ではないだろうか。

私は、報道の自由を振りかざすメディアであるならば、もちろん個人の特定がなされないような配慮をした上で、どういう種類の中傷であったのかを可能な限り、情報を伝えるべきであるし、それによって生じる問題については、法廷で争い、敗訴すれば、賠償義務を果たすべきだと思う。

そういう意味において、うやむやにしてごまかすのではなく、訴訟も辞さないとして、メディアの職責を果たす方が、社会的に見れば、第4の権力としての責任を果たしていると言えるように思う。

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