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01/20/2009

司法のIT化の2つの問題(その1)

司法業界にも遅ればせながら、IT化の波が来ているようだが、なんでもかんでもIT化しようということには毅然とした立場で、守るべき価値は何かを選別する必要があると思う。

また、IT化は自体は否定しないが、業者主導の動きには必ず利益誘導があるのであって、裁判所がかかわる際には、他の公官庁より一層その辺の配慮をして、慎重な対応をしなければ、癒着等による国民の裁判所への信頼は失いかねない。

IT化の動きの代表例は、①刑事裁判におけるディスプレイ表示、②民事裁判での遠隔裁判などがある。

まず、前者についてであるが、裁判員制度が開始されることにより、生の死体の写真などを残酷なものを裁判員に見せるのは精神的苦痛を伴うので代わりにCG化したものを見せれば良いという見解があるらしい。

被告人の人生および被害者・遺族の人生がかかっている裁判において、生の写真を見ずして、事実認定するということがあっていいのであろうか。

私はこの点には著しい疑問を感じる。ましてや、裁判員が量刑判断にも参加する以上、「行為によって生じた結果」と向き合わずして、正しい量刑判断などできるはずがない。全くもって見当違いなIT化だと思う。

先日公判が開かれたバラバラ殺人事件で、死体の映像がショッキングで、被害者遺族が退廷したというニュースが流れた。これが裁判員制度との関係での公表なのか、それが妥当なのかという記事があったが、その記事の姿勢も、「こんなひどい映像を見せる必要がない」という観点からの価値判断が色濃く出ていると感じる。

私はどうしても、こういう価値判断には疑問を感じる。人の命が如何に残酷に失われたのかこの生の事実から目をそむけてもいいのだろうか。もちろん、被害者遺族の心痛は計り知れない。

しかし、犯人の行為によって、発生した結果がいかなるものかを社会全体が共有して、はじめて、現在の凶悪刑事事件をどう予防していくことができるのかを真剣に考えられるのではないだろうか。

もちろん、退廷した遺族についてどうこういうわけではない。私も遺族ならショックのあまり退廷するだろう。

ただ、一番その悲惨な現実を傍聴人として目の当たりにしたマスメディアの、衝撃的な現実は職業裁判官にのみ見てもらえば良いとして、忌々しい現実からは目をそむけようとする姿勢そのものが、マスメディアとしての役割を果たしていないと思うわけである。

これも一種のIT化、言いかえれば、裁判のバーチャル化ではないだろうか。凶悪事件が増える中、日々起こる犯罪の発生ばかり速報で伝えようとするあまり、個々の事件で発生した結果、つまり人の命の重みがいかに残虐に奪われたかを伝えずに、死体写真が衝撃的すぎると批判する。これでは、凶悪事件にまともに向き合っているとはいえないだろう。

被害者が1人いる→残虐な方法により殺害されたというだけでは、社会全体でその凄惨さを共有したとは言えないのである。もちろん、その映像を新聞に載せろとか言うわけではない。

ただ、少なくとも、量刑判断をする者、および公開の法廷で裁判を傍聴する者は、残虐な犯行とその凄惨な結果について、正面から向き合う機会がなければ、失われた被害者の人命に対して、あまりにもバーチャルな軽いものとして向き合うことしかできないのではないだろうか。殊に、その傍聴人がマスメディアなのであれば、そうしたものに向き合って初めて事件の本質を伝えることができるはずである。

これから逃げようとする姿勢は、マスメディアのあるべき姿として失格だろう。

長くなったので、民事訴訟におけるIT化の問題は次回にする。

【神隠し公判】ショッキング映像…傍聴人「必要あるのか?」
1月20日2時55分配信 産経新聞

 19日に第3回の公判があったバラバラ事件。これまでの公判では、法廷の大型モニターに200個超の生々しい肉片や骨片の写真が映し出され、目を背ける傍聴人が相次いだ。遺体切断の再現映像では、遺族が地裁職員に抱えられて退廷して号泣する一幕もあった。

 ある傍聴人は「私たちにここまで見せる必要があるのか」と疑問を語った。

 ショッキングな映像を傍聴人にまで示すのは、従来の公判では考えられない異例の措置だ。東京地検は14日の第2回公判後、この公判を裁判員裁判の「モデル」と位置づけ、「裁判員にも法廷で見てもらうというメッセージを込めた」と説明した。19日には「裁判員制度は関係なく、立証上必要があった」と修正したが、本音はどちらか。

 裁判員に対する証拠開示のあり方については、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる可能性もある」(中園一郎・日本法医学会理事長)との課題も指摘されている。だからこそ、東京地検や東京地裁は今回の公判で、遺族ら傍聴人に残忍な証拠をあえて示すことで、裁判員になる一般国民が、どの程度の証拠に耐えられるかを推し量った、との見方がある。

 現在、多くの裁判で裁判員制度をにらんだ試行錯誤が続けられている。だが、「現実の公判が、まだ始まっていない裁判員裁判のトレーニングに利用されてはたまらない」(犯罪被害者支援に詳しい武内大徳弁護士)との批判もある。

 この公判は、殺人事件の裁判であって、模擬裁判ではない。被告の有罪無罪を決める以上、裁判員がある程度残酷な映像を見なければならないのは理解できるが、遺族ら傍聴人は裁判員でもない。遺族らを相手に“練習”をするかのような姿勢には、疑問を感じざるを得ない。(小田博士)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090120-00000508-san-soci

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