司法におけるIT化の問題(その2)
先日の司法におけるIT化の問題の続き。
民事訴訟における遠隔裁判の議論についても、疑問を挟まざるを得ない点がある。
ある団体が作成したビデオを先日見たのだが、あまりにも現状にかけ離れた裁判像をイメージしているのである。
まず、裁判官の訴訟指揮に対する過度な期待がある。訴訟指揮はその事件の裁判長の広範な裁量に委ねられるので、必ずしも、すべての裁判官が丁寧に法律的概念を説明しながら、積極的に事案の解明を行うとは限らない。
事実の主張と証拠の提出を当事者の権能と責任とする弁論主義が採用される我が国では、当事者が主張していない事実については、事実認定をして、判決の基礎とすることが許されない。そうすると、当事者が主張しない事実がたとえ証拠調べにより明らかになったとしても、裁判所はその事実はないものとして扱うことになり、この不利益(主張責任)を当事者は負わなければならない。
こうした考え方が民事訴訟の根本にある。そして、裁判所の中立性と裁判所への国民の信頼を害さないためにも、裁判官は積極的な釈明(当事者の主張していない事実に対して、それを指摘し、立証を促すこと)を慎重にしなければならない。
よって、積極的釈明を裁判所に過度に期待することはできない。にもかかわらず、『完全なIT化による』遠隔裁判で期待されている裁判所像は、かなり積極的釈明を行う必要がある形になっている。
また、遠隔裁判については、249条に代表される口頭弁論に関する諸原則(公開主義、双方審尋主義、口頭主義、直接主義)が問題になるだろう。
とりわけ、遠隔裁判では、当事者が口頭弁論期日において、裁判所に実際には出廷せず、別の場所から電話やモニターを使って参加するということだが、こうした方法で一切の口頭弁論を行うことが果たしてなじむのかという問題もあるだろう。
つまり、現行法で、遠隔地居住者との音声による通信を許容しているのは、口頭弁論の前に行われる争点整理手続きにおける①弁論準備手続きと呼ばれる方法の一場面と、②書面による準備手続きと呼ばれる方法の場合のみ許されているにすぎず、準備的口頭弁論というあくまで口頭弁論である手続きにおいては許されていない。
結局、遠隔裁判が訴訟手続きの一部的にしか採用されず、一部の団体が主張するような完全なIT化が実施できないというのは、憲法82条の定める「裁判の対審」が十分に確保できないのではないかという懸念に立脚しているように感じる。
つまり、利便性を追求するあまり、公平な裁判という憲法上要請が害されることは、あってはならないということである。
最近はだいぶ下火になってはいるが、IT化による利便性の追求という動きに対しては、もう少し懐疑的になり、それに伴う負の面をもう少し考える必要があるだろう。
そのことを考える上でも、最近、書籍紹介欄で紹介した、養老孟司氏の『逆さメガネ』という本は参考になる。
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