本当に日常的概念なのかという疑問
ある方のブログで、公共施設の設備品使用をめぐって争いになったという話があり、そこでその時の対応が良かったかどうかというような議論がなされていた。
そこで、「公共施設の設備品は、早い者勝ちであり、利用している人に所有権がある」とか、「一時的に所有権を取得した」とかいう法律上明らかな誤りがある主張がなされていて、ふと、民事訴訟にある権利自白の話を思い出した。
民事訴訟では、事実と証拠の収集・提出は当事者の責任と権能とする建前(弁論主義)が採用されている。
そこで、①裁判所は、当事者間に争いのない事実については、そのまま認定しなければならない。また、②当事者が自白(相手方が主張する自己に不利益な事実を認めて争わない旨の陳述)した事実については、証明することを要しない(民訴法179条)。
さらに、自白が成立すると、上記2つの効果が生じるため、相手方当事者は、一旦自白が成立すると、それを信用して、その自白を前提に、訴訟追行するため、③禁反言・信義則から、自白を撤回することが原則できなくなるという効果が生じる。
そして、弁論主義は、「訴訟の結果に直接関係のある権利の発生・変更・消滅という要件事実である主要事実」に限って適用されるため、自白の①③の効果は、主要事実に限って認められる。
権利自白というのは、事実の自白ではなく、権利・法律関係に対する自白である。たとえば、「家を買った」という事実を主張するのではなく、「家の所有権がある」というのが権利自白である。
この権利自白について、上記の自白の①③の効力を認めるべきかという論点について、判例は、権利自白は法律関係についての自白であって、事実の自白ではなく、法的評価は裁判所の専権なので、原則として認めないとしつつも、日常的な法律概念についての自白であれば、その法律概念の内容を当事者が熟知しているので、具体的な事実の陳述として、自白を成立させるという立場をとる。
つまり、所有権が相手にあるという自白をすると、所有権を取得した具体的事実(例えば、売買契約による所有権の移転など)に、自白があるということになる。
ここで、やっと本題。
この記事の一番最初にある所有権の議論。これは、とんでもない勘違いなのである。公共施設での備品が早い者勝ちというのは、正しいが、利用者はあくまでその占有権を取得するにすぎず、所有権は取得しない。
何を言いたいかというと、所有権が日常的な概念で、当事者はその意味内容を理解しているというが、本人訴訟など一般人が訴訟参加する場合には、所有権の意味すら本当に理解できているか怪しい場合があるということである。
今まで、訴訟は法律の専門家たる法曹主体の運営がなされていた。そういう中では、所有権が何を意味するかは当然の前提で、「日常的概念だから」というのは、その通りだったのかもしれない。
しかし、一般人が、こういう法的概念を理解している場合は非常に稀なのが現実ではないだろうか。
そう考えると、裁判員制度がスタートする中、一般国民の訴訟参加が増えることが予想される。
そうなると、もう少し丁寧な訴訟運営が裁判所には要求されるだろうし、国民も法律の最低限の理解が必要になってくるのかもしれない。
法律の議論をわかりやすくしようとしたが、かなり迂回な記事になってしまった。いつも思うことだが、なかなかわかりやすく説明することは難しい。
「 日本の法律」カテゴリの記事
- ラグビーワールドカップにみる電通の闇(2019.10.17)
- 金融庁の怒りとそれに対する危機意識が組織的に欠如している新日本監査法人(2015.12.23)
- 新日本有限責任監査法人への処分の妥当性(2015.12.21)
- 監査法人制度の闇その2(2015.05.27)
- 東芝の粉飾決算疑惑に見る監査制度の闇(2015.05.25)
The comments to this entry are closed.
Comments