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12/20/2008

ブッシュ政権の8年間を振り返って(2)

ブッシュ大統領を襲撃した靴を買いたいという声があるらしい。9億円もの価値があるのだろうか。金持ちの考えることはわからない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081218-00000096-jij-int

さて、第2回の今日は、2004年の大統領選挙を勝利した理由を、2000年から2004年までの4年間のブッシュ政権の政権運営を振り返りながら検討したい。

まず、何といっても2001年9月11日の起った全米同時多発テロがこの第1期ブッシュ政権を語る上で重要である。多くの人にとっては、すでに見慣れてしまい、過去の映像となってしまったかもしれないが、ワールド・トレードセンタービル(WTC)のツインタワーに飛行機が突っ込んだ映像は非常にショッキングなものであった。

私は、当時アメリカにいたが、まさに混乱状態だった。CNNをつけた途端、WTCから黙々と煙が上がっている。そして、数分後、LIVE映像で、もう1機がWTCに突っ込む姿を多くの視聴者が目の当たりにした。このようなテロは今までに見たことがなく、第2次世界大戦後、初めてアメリカ本土が戦争状態に入ったと思わされた瞬間であった。

そして、報道や情報が錯綜。連絡の取れない飛行機が10機近くあり、上空から狙っていると多くの人々が狼狽していた。 そして、防衛の拠点であるペンタゴン(国防総省)が攻撃を受ける。とにかく、この日以前の平和な日々が一瞬にして崩壊し、実態が分からない恐怖に直面したわけである。

この危機に、真っ先に対応したのが、ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏(共和党)であった。彼のリーダーシップは当時の国民には賞賛された。そして、ブッシュ政権も当時の国民の目線からは、迅速に対応したと見えていた。

ブッシュ政権は、直後に、このテロがアルカイダによるものだったことを発表。テロへの警戒はクリントン政権のときから明らかだったことが判明。国民の声は、テロ防止できなかったことによるクリントン政権やブッシュ政権批判というよりは、テロを起こした組織を壊滅すべきだというものが強くなっていった。

この原因は、米国の国民感情として、自国が直接大規模な攻撃を受けたことがないというショックと二度と起こすべきではないという考えによるものである。

この当時、アメリカ国内は様々な異論反論のある社会問題を抱えていたが、報復の反撃が必要だという声で、初めてアメリカ国内が一致したといえる。

この声に後押しされるように、ブッシュ政権は、アフガンへの報復攻撃を進める。さらには、この機をアメリカの安全保障を絶対的なものにする上では、絶好の機会と捉えたネオ・コンサバティブという人たちが、先制攻撃の必要性を提唱。アメリカは、テロとの戦いの名の下、国民が一致してブッシュ政権を支持することになる。

ここで重要なのは、テロ直後、リベラルも保守も幅広く、ブッシュ政権を一致して支持していたという点にある。それほど衝撃的な事件が9・11テロだったわけである。

では、なぜアメリカ国民はこの戦争への道を支持したのか。

理由の1つは、中東問題に対するアメリカの認識がある。アメリカ国内には多くのユダヤ系住民が多く、彼らは民主党の支持基盤でもある。彼らは当然親イスラエル的スタンスであり、今回のテロにより、イスラエルと同じように自分たちがアメリカにいても攻撃されうるという危機感を抱いたのである。

次に、アメリカを1つにまとめる価値は、自由主義と民主主義である。この2つの価値が、イスラム世界では共有されておらず、この価値を持たない野蛮な世界によって、アメリカの価値が揺らいでいるというアメリカ国民の共通認識が当時はあった。

さらに、アメリカに在住するイスラム系住民にとっても、その多くは帰化し、アメリカ社会に溶け込もうとしているさなかの同胞の攻撃であり、自分たちとテロリストを関連付けさせないためにも、反対の声は挙げられず、むしろ、積極的にイラク攻撃を支持したという背景があるだろう。また、アメリカのイスラム系国民は、当然、自由主義と民主主義の価値を共有しているので、フセインによる独裁に対しても批判的であった。

したがって、このテロにより、アメリカの自由主義、民主主義に対する敵が登場し、その敵を打破するために、ブッシュ大統領は戦時大統領として、その信頼を集めたわけである。

ただし、この時点で、リベラル勢力がブッシュ政権を完全に受け入れたわけではない点についても言及しておきたい。リベラル勢力は以前、ブッシュ政権の強硬派であるラムズフェルド国防長官やチェイニー副大統領に対し、不信感はあった。しかしながら、これらの不信を払しょくする存在が、穏健派だったコリン・パウエル国務長官だったわけである。パウエル長官が支持するイラク戦争は必要的なものだという考えがリベラル勢力にはあったと考えられる。

つまり、この2004年までの政権では、穏健派対強硬派という構図が出来上がるが、これは、アメリカ国内のリベラル派と保守派という対立構造を一応反映しつつ、ブッシュ政権でこれらをまとめ上げて挙国一致して、自由主義と民主主義を守るための戦争という大義のもとに、イラク戦争が支持されるわけである。

しかし、2004年には、この状況は一変する。再度、リベラル対保守という対立が生じるのである。イラク情勢が思うように進まず、さらに、政権内ではパウエル長官が孤立しはじめ、2004年11月には辞意を表明。これにより、今まではテロとの戦いを支持ないし容認していたリベラルや穏健リベラル勢力が次第に、離反していくこととなる。

そして、再度、2004年の選挙では国を二分する形で、選挙が行われた。

もっとも、この選挙でブッシュ大統領が当選するのは目に見えていた。確かに、選挙の得票的には50%対48%だった。しかし、ケリー候補に対しては、リベラル勢力が一致して推せる人物ではなかった。カリスマ性に乏しく、反戦運動の過去があり、戦時大統領としての外交能力にも疑問が呈された。

さらに、クリントン一派は、予備選で、当時、安全保障に明るい、ウェズリークラーク元陸軍大将(NATO司令官)を押したこともあり、民主党が一枚岩でなかった。

このような状況で、未だテロの恐怖から抜け出せないアメリカは、戦時大統領としての実績があるブッシュ大統領を選び、第2期ブッシュ政権がスタートするわけである。

以上のように、ポイントは、一旦一致した国内世論が、再度分裂したという点である。

この二分現象は、選挙のたびに生じるもので、現代アメリカの特徴である。この傾向は、レーガン大統領以降に特に顕著になっているといえるだろう。

2000年の選挙では、社会的保守票の掘り起こしで、リベラルと保守の対立を際立たせ、ブッシュ大統領は当選した。

その後、9・11テロを契機に、一旦国内世論を一致させたものの、政権運営が強硬派の保守よりになったことから、ブッシュ政権はアメリカ国内世論を再度分裂させてしまうも、戦時大統領の実績を強調し、2004年は再選を果たした。

この流れは、第4回で話す、「オバマ政権の誕生と今後のアメリカ」を考える上でも重要なポイントなのでぜひ覚えておいてほしい。

次回(第3回)は、2004年から2008年までのブッシュ政権の政権運営について検討する。

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